コメに代わるのは花卉
「押しつけ農政」からの脱却を



(鈴木善幸内閣で農林水産政務次官を務めた志賀節氏は、コメに代わる農家の安定的収入源を見つけるのが急務で、それは花卉だと語る。そして、農民の自主性を尊重せよ、と訴える。)

迷い、右往左往している日本の農業

 猛烈なアメリカ批判で有名なビル・トッテン氏とお目にかかった。長身で柔らかな物腰のこの在日アメリカ人とは初対面だったが、思うところを無遠慮に聞いてみた。
「オリンピックでも公式種目になっている格闘技、ボクシング、レスリング、柔道、そのいずれも重量別に分けられ、同し重量級同士でない限り、闘うことが出来ません。それなのに、日本産のコメとその七分の一の値段のアメリカ産のコメとを、同一リング上で闘わせることを貿易の自由化だとすること自体、おかしいのです。自由化を進めて得する国は、アメリカ以外ないのではないでしょうか」
 アメリカ批判派とはいっても、星条旗のもとに生まれて育った人なのだからと、私には多少の遠慮があった。すると、ビル・トッテン氏は目から鱗の落ちるような返事をした。
「私は南カリフォルニアに生まれて育ちました。南カリフォルニアは降雨量が少なく、水不足の地域です。当然、水の値段は高いし、庭に水を撒くな、入浴は短時間にしろ、などといった節水のための取りきめがあって、不自由な生活を強いられますが、農民だけは別格です。南カリフォルニアの米作地帯はもともと砂漢ですから、もの凄く水を食います。そこに、ふんだんに給水をしますし、そのための諸施設は公的資金で造られています。つまり、アメリカ産のコメは政府の大きな補助金の後押しで安くできるのです。それが日本産のコメの値段の七分の一を可能とするのです。ですからアメリカ産のコメはダンピングなのです」
 コメの自由化を受け入れで以降、日本の農業は気息奄々だ。拒否してきた関税化は最近になって一転、受け入れる方角になってきた。だからといって、関税化に手放しで賛成だというわけでもない。日本の課した関税率が高過ぎるとアメリカから文句がついたことで、日本側は関税率の先行きに不安を持ちはじめたのだ。関税率がゼロになったときの事態をいやでも考えるようになる。関税化を容認したものの、迷いに迷って右往左往している姿が、日本の農業の現状だ。
 最近になって、環境経済学などという字面が現れるようになった。環境問題は新たに登場した分野なので、従来の価格形成の要素に環境のための経費が算入されていない。特に農産物の価格形成に、その点の欠落が認められる。
 新しい価格形成については、だれしもが納得し、合点するものでなければならない。大方の合意を得て農産物の新しい価格がきまれば、農政の新たな展開の大きな要因になるだろう。ただ問題なのは、この合意に至るまでの日本の農業をどうするかだ。

農水省は調整役に徹すべき

 結論からいえば、コメに代わる農家の安定的な収入源を選定することだろう。鈴木善幸内閣の農林水産政務次官の任に五百日もあった私は、コメに代わる転換作物をついに見つけかねた。一時はハトムギに色めき立ちもしたが、実が不ぞろいであることなど、さまざまな短所があって、到底コメに代わるものなどあり得ないことが明らかになった。
 農政の分野には、胃の腑の充足不充足とは別の作物もあることに遅まきながら気づいたのだ。それは、花卉だった。
 日本における花の需要は、欧米各国より格段に低い。なぜか祝儀にはあまり用いられず、不祝儀専用の観を呈する。欧米では珍しくない夫婦、家族間のお祝いの花のやりとりが日本ではほとんどない。
 しかし洋風化の波は着実に日本に押し寄せている。食生活はもとより、昨今は便器の果てまで生活習慣の洋風化は免れない。洋風化による花の贈答も、時間の問題だろう。
 情報化社会の名にふさわしく、生産者がその日その日の花の価格を、コンピュータで把握することは、さほどむずかしいことではなくなっている。生産者は、いながらにして勝負が張れるわけだ。
 花の需要は先進国ほど大きい。アジアには中進国のほか、数多くの発展途上国があって、これらは先進国予備軍といってよい。それは、将来のアジアが花の一大市場になることを意味している。
 かつてオランダを訪れたときにアムステルダムの花市場を見たことがあった。自国産やヨーロッパ各地、はては地中海の彼方から届いた色とりどりの花の群れのなかにたたずんで、このような花市場が日本にもほしいものだと夢を馳せたものだった。未来の巨大な花卉産業を見掘えれば、今や花市場を開設すべき時期に来ていると思うのだ。これこそコメ自由化のあと、環境問題を折込んだ農産物価格が定まるまで、日本農業の果たすべき適切な役割だと信じる。副次的な効果として、農山村の嫁不足解消が見込まれるかもしれない。
 今日、日本農業の最大の欠陥と私が目しているのは、農民の自主性をいかさない点だ。戦後の農政に一貫して流れているものは、上からの押しつけとその目まぐるしい変更だった。農政担当者はこれをそうと考えてはいないのかもしれないが、持参金(補助金)までつけてこの花嫁(作物)はどうだと差し出されれば、押しつけだと受け取られてもおかしくはない。見込み違いだったと、仲人(農政担当者)は次から次へと持参金つきの新たな花嫁候補を差し出す。それに飛びついては性懲りもなく失敗を繰り返し「猫の目農政」と非難するが、それが何らの補償になるわけでもない。
 苦い体験から築きあげた農業のあり方に「住田型農業」というものがあった。岩手県気仙郡住田町の優れた指導者、故佐熊博元町長の提唱した農業だ。河北新報社設立の第二十五回「河北文化賞」を昭和五十年度に獲得して、当時一躍脚光を浴びた農村形態だった。
 農林水産省からどのような作物をすすめられても、いかに補助の条件がよかろうとも、すぐ飛びつくようなことはせず、そのつど、農、林、商工の三団体の代表からなる協議機関を通じて、受け入れるか否かを検討、受け入れるとなれば、生鮮、加工、の両部門に大別した計画に基づいて生産態勢に入る。出荷もまた計画どおりに進められる。
 農林水産省は、農民のやる気を尊重し、引き出すことにつとめるべきだ。農民の生産意欲にのみ任せておけば、生産過剰になる作目も出てこよう。その場合、農林水産省は農民の生産意欲を極力尊重した調整役に徹すべきなのだ。





(これは、「財界3月30日号(1999年)」に掲載されたものです)




 
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