考えよう
生命の大切さ



 和歌山市の毒入りカレー殺傷事件が発生してこのかた、この種の事件が続発している。最初、毒物は青酸化合物ということだったが、事件発生後大分たって砒素が混入されていることか判明した。驚くべきことだ。
 毒物の特定がこのように遅れたせいか、事件はなかなか解明されないし、したがって犯人も検挙されない。とかくするうちに類似の事件が続発、缶入りウーロン茶を飲んだ男性が死亡し、缶内からまたしても青酸化合物が発見されたという。缶の底には穴があけられ、そこから青酸化合物が注入されたあと、ふさがれていたという念の入りようだ。

ある自殺者の話

 犯罪にも連鎖反応があることはかねてから聞き及んでいたが、何人もの人を殺傷して憚らないこの種の凶悪犯罪の続発にははらわたが煮えくりかえる。
 私の祖母と母は共に女医だった。祖母は出身地岩手県第一号の女医、私が九歳の時、祖母の一人娘である母は三十四歳を一期に不帰の客となった。時に父は三十七歳。
 母の忘れ形見である私とは宇都宮在住の祖母の膝下で育てられることになった。祖母は一人娘だった母の育て方に対する反省からか、孫との関係からはおよそ想像もつかないと厳しいスパルタ式の教育を施した。
 そのうち何かの拍子で自殺が話題になったことがあった。祖母はキッとなって私に口外しないよう誓わせた後、自分が看取った何人かの自殺者の話をこんなふうに聞かせてくれた。
 駆けつけた祖母が、
「どうした。何か飲んだのか」
 と訊くと、のた打ちまわりながら、
「サソだよォ、サソ剤だよォ」
 と息も絶えだえに口走りつつ、
「苦しいよォ、助けてくれえ。苦しいよォ、助けてくれえ」
 と血走った目の農夫に哀願された話。サソ剤は殺鼠剤のことで、当時「猫いらず」の名で広く知られていた毒薬で、薬屋で容易に入手できた。
 青酸カリを嚥下した旧制中学校のさる教師は、文字通り畳を掻きむしりながら部屋中を転げまわり、その間にも耳や鼻などの突出部分から始まって、頬が紫色に変じて死に至るのを手を拱いて見ているよりほかはなかった話−。
 まことに陰惨そのもので、今思い出しても身の毛のよだつ話なのだが、こんなにも生々しくむごたらしい話を祖母が私にしたのは、自殺に走りかねない年頃になっても、万々自殺などすることのないように手を打っていたような気がする。
 自殺を決行した人間が苦しさに耐えかねて「助けてくれ」と叫んだり、助命の哀願をしたりする有様は、想像するだに鬼気追って私を脅えさせた。お蔭で私の思春期は自殺の誘惑がなくてすんだが、服毒による苦悶を生々しく想像することからはついに解放されなかった。
 毒入りのカレーやウーロン茶を口にした人たちが、どれほどの苦しみをなめなければならなかったのか、そのことが私に想像できるだけに、犯人に対する憤りは一入なのだ。

生命をなげうつ時

 大日本帝国時代の生命に対する扱いがあまりに粗末だったとする反省から、戦後の風潮、教育の場における生命の尊重は極端なまでになった。
 しかし「遇ぎたるは及ばざるが如し」という譬えの通り、生命は最も大事なもの、ということが徹底した結果、自分の生命を最上段に据えて、他人の生命はその下位に置くようになり、昂じて他人の生命などどうでもよいということになってしまったように見受けられる。自分の生命の尊重を最大限に推し進めれば、他人を裏切ろうが貶めようが、当然許されるということになる。親がわが子に代わって死ぬなどという話は絵空事になってしまう。それどころか、小学生の首を切断、頭部を校門に置いて「酒鬼薔薇」などというふざけた偽名を使うような少年が出現さえする。一連の毒入り飲食物事件の発生が際限なく続くということにもなる。
 目分の生命を大切にしていさえすれば、世の中万事まるくおさまると考えている頭がどうかしている。わが身を挺して守ってやらなければ、わが子の生命が危ういという場合、親はどうしようというのか。
 私は今でも、雛を羽の下で抱いている母鶏を描いた絵本の一頁を鮮やかに思い出す。鶏舎が火事にあったため母鶏は死んだが、鎮火の後、その羽の下から雛たちが元気よく出てきたという話を聞いて、小さな胸を熱くしながら、愈々母を慕わしく、益々かけがえのないものと思うようになった時のことが忘れられない。
 最も大切なのが生命だという考えに、私は同意しよう。しかし、これは補足が必要不可欠だ。最も大切な生命を捧げてなお、かちえなければならないものがこの世にはある、ということだ。
 戦争に負けるまで、日本人が生命を捧げる対象は大日本帝国か天皇陛下だった。それは上から、いつとはなしに至上命令として押しつけられ、日本人全体がこれを当然のこととして受け入れてきたのだった。だから私はこれを全体主義とよぶ。しかし、その対象は個々人の自由意志に基づくものであって、決して押しつけであってはならない。それこそ自由主義の自由主義たる所以であって、自由主義の精華というべきだろう。
 いつ頃からか、価値観という言葉がよく使われるようになった。よく使われる割には、価値観自体についての考察がなおざりにざれているように見受けられる。だから価値観の多様化などという表現が平気で横行する。我が赤を好み、彼が白を望むとか、私が洋食を求め、家内が和食を欲するといったようなことをもって、これを価値観の多様化などというべきではないのだ。
 私に言わせれば、価値観である以上、それは人類共通のものであるはずなのだ。すなわち、最も大切なのは自分の生命。それを捧げてなお、かちえなければならないものがあるとする価値観だ。
 生命を捧げなければならない場合もあろうが、必ず生命を捧げなければならない、というわけでないことはいうまでもない。生命を捧げてなお貫き通すものを常に持っているという生き様が、人を人たらしめるのではなかろうか。

(1998・9・17)




(これは、「月刊ベルダ 10月号(1998年)」に掲載されたものです)




 
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