地球環境問題と
資本主義の今後



 今年十二月に日本を議長国として、京都で地球温暖化防止の国際会議が開かれる。二酸化炭素(CO2)などの排出抑制を、世界各国の代表者が一堂に会して取り決めようというものだ。
 地球温暖化といえば、一九九○年の地球上の平均気温が過去百年の最高をマーク、九五年にはこれを更新した。気象庁の地球温暖化リポート最新版によると、過去百年間の世界の平均気温は○・六度、日本では○・九度も上がっている。冬は暖かく、夏は涼しいというのも最近の気象状況だ。長期予報では今夏も冷夏であると伝えられているものの、関東地方は七月五日、四○度を超す記録的な暑さとなり死者すら出る騒ぎだった。ここまで来れば、地球温暖化は紛れもない事実として確実に忍び寄って釆ているのが実感されてもよいのではないかと思う。暖冬や冷夏の方が極寒や極暑に比べて遥かに快適であるところから、人類は地球的規模でのこの危機に鈍感にならざるをえないのだろうか。

米国で罷り通る反対論

 一方、この鈍感さを加重させる論調が、米国では堂々と罷り通っている。最近、米国議会関係者向けの新聞に掲載された意見広告がそれで、広告主は全米十一の石炭火力発電所に石炭を供給している共同事業体であり、二酸化炭素の排出が破壊的な地球温暖化をもたらすという考え方は間違いだとして、リオ条約(気候変動枠組条約)を廃止しようと呼びかけている。そのうえ二酸化炭素の増加は森林の育成や食糧の増産などに好影響をもたらすとまで言い切っているのだ。
 この背景には、米国の電気エネルギーの五六%を占める石炭火力を規制すると、石炭で安い電力を得ていた国際競争力が低下し、米国経済がもたなくなるという危機感がある。地球温暖化防止に抵抗する動きはどこの国にもあるようだが、米国の場合は石油、石炭関係の大企業を中心として顕著だ。昨年の米国下院の科学委員会では、科学的信頼性を欠くとして、共和党が環境保護局の地球監視計画の予算をすべて削除した。
 その後、復活するにはしたが、こんなことが米国議会の中で現実に起きている。
 そのような情勢の中で開かれたのが、新たにロシアが正式参加した六月のデンバー・サミットだった。この会議では地球温暖化問題が議せられ、G8共同宣言の中では、二酸化炭素などの温室効果ガスを「二○一○年までに削減する結果をもたらすような目標にコミットする意思がある」とわかりにくい表現となった。その後開かれた国連環境持別総会でも、橋本龍大郎首相は同趣旨の演説をしている。
 サミットではドイッなど欧州連合(EU)が「二○一○年には九○年水準に対し一五%の削減」と明記したい意向だったが、日米などが抵抗したためこのようになったと伝えられている。
 十二月の京都会議は「二○一○年までに温室効果ガスを削減する」という枠組のなかで各国の対立を抱えたまま開催されそうだ。

生態系に悪影響

 ここで地球温暖化について、おさらいをしておこう。地球上の大気は八割弱が窒素、二割が酸素、その他が微量気体だ。微量気体のうち二酸化炭素、亜酸化窒素、メタン、フロンなどが温室効果ガスと呼ばれる。これら微量気体の発生が少量のうちは問題ないが、大量になると地球に届く太陽光エネルギーは通すが、地球からの放射分を吸収、反射するため、下層大気を暖めることになる。温室効果ガスの中でも、特に石炭や石油などを燃やすと出る二酸化炭素が焦点となる。
 地球温暖化が進むと、生態系にさまざまな変化が生しる。前述の米国の石炭供給団体の楽観論とは裏腹の事態だ。気温が上がれば、水温も上がり、水面も上昇する。水温が上がれば、南北極の氷は溶け、そのうえ水そのものも膨張するのは当然だ。水面が上昇するのは海水だけではない。内陸の湖沼も河川も水面が上昇する。陸地の大きな部分が浸され、農耕や家畜飼育など人類の生活の場としての陸地が失われることになる。このような事態になれば絶滅しないまでも、人類は環境激変の中で生存可能な者はごく限られてしまうことになるだろうし、それまで許されてきた人間らしい生き方もまたできなくなってしまいそうだ。
 私は環境庁長官在任中の八九年十一月、オランダのノルトヴェイクで開催された「大気汚染と気候変動に関する環境大臣会議」に日本の代表として臨んだが、この時の主たる議題が地球温暖化対策であり、二酸化炭素の排出削減の目標設定についてだった。
「先進国は西暦二○○○年より遅くない時期までに二酸化炭素の排出を現状レベルに安定化させる必要性を認識し、二○○五年までに二酸化炭素の排出を二○%削減する案の実現可能性を検討することに合意する」というオランダ案をめぐり、参加国は二極分化、激しく対立する様相を呈した。米、英、ソ、中が反対、その他の諸国は支持を表明した。僅か二日間の会議ではあったが、時間の経過と共に双方の対立は鮮明化し、このままでは国際政治の枠組(当時の枠組は米ソ二超大国の対立)にも変動を与えかねないとする強い危惧の念から、日本から随行した役人諸君にフルに動いてもらい、「二酸化炭素等の排出規制については、世界経済の安定的発展を図りつつ」先進国はできるだけ早期に排出の安定化等に合意するということで、ともかく会議の決裂を回避したのだった。「安定化」というのは、二酸化炭素等の排出を従来以上にはしないという意味ととれるのだが、ここまで漕ぎつけること自体、容易なことではなかった。
 閉会に際してオランダの環境大臣、ネイペルス議長から「宣言の取りまとめに尽力した日本のイニシアチブを評価する」旨、特に発言があり、米国のライリー環境長官からも同様の発言があって、日本勢は大いに気をよくしたものだったが、今日依然として目標値の設定ができないでいる現状を見るにつけ、往時を知る者としては百年河清を待つに似た感慨に打たれる。
 欧州共同体(EC)が米国同様の経済体質を有しているにもかかわらず、二酸化炭素の規制に積極的だったのは、原子力発電に依存度が高いためであると知ったのはこの会議の席上だった。

資本主義を洗練させる

 経済学の父、アダム・スミスは資本主義を説いて、市場においては個々人が自分の利益だけを追求するという競争のなかで、市場における価格が上下し、需給が調整され、あたかも神の「見えざる手」によって導かれるように、個々人の利害がバランスされる、と言った。
 しかし、持てる者は寝ていても豊かになり、持たざる者は働けど暮らし楽にならずということが現実だった。そのような資本主義の批判から生まれたのがマルキシズムだったといえよう。
 私はマルキシズムに一度たりとも与したことはないが、マルキシズムの存在のお陰で、資本主義が尊大であることから謙虚になり、当初は考えられもしなかった社会保障・福祉システムを制度化するなど、資本主義を大いに洗練させたことは事実だろう。
 ところがベルリンの壁の崩壊以降、マルキシズムを標榜する国々はつぎつぎに脱落、残るは飢饉にあえぐ北朝鮮と一国二制度を掲げる中国、力ストロ率いるキューバなどで、世界はほぼ資本主義一色となった。
 資本主義の外部にマルキシズムのような存在がない限り、資本主義は吉典的な状態に逆行したり、再び尊大化の方向に動き出さないという保証はどこにもない。私はそのような困った方向に動き出しているのではないかと危ぶんでいる。
 そして今、資本主義をより良いものにしてゆくのが地球環境問題で、私にはそれ以外、見当たらない。
 ともすればその虜になりかねない野放図な欲望から人類個々人が解放されることが必要だが、自己抑制には自ずと限度があって、自己抑制を求めるだけで事は成就しない。今こそ、人類の未来を危機に瀕せしめる地球環境問題への深い認識に立って、その解決の実現へ向かって一歩を踏み出す時が来たのではなかろうか。
 この時、資本主義、地球環境問題ともに所を得たことになるだろう。




(これは、「月刊ベルダ 8月号(1997年)」に掲載されたものです)




 
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