「心のかよった福祉」の
具体像が見えてきた



 古典的な名著として知られる『大恐慌』(The Great Crash,1929)の著者でハーバード大学のジョン・ケネス・ガルブレイス教授が、駐インド大使時代にわざわざ任地から東京の社団法人中央政策研究所の開所祝いに駆けつけ、記念講演をした時のことを懐かしく思い出す。同研究所は当時、宰相を目指す三木武夫・自民党幹事長の政策研究立案機関で、私は、ここの研究員だった。経済学の豊かな識見に裏打ちされた講演内容は、部分的にではあっても三十年後の今なお鮮やかに思い出す。
 「未発達な社会では、福祉に代わるものが道徳律でした」とガルブレイス教授は説いた。祖父母や両親など年長者や尊属に対する尊敬、子や孫などの幼い者たちや卑属に対する慈しみは、未発達な社会では絶対服従を求める道徳によって確実なものとなるというのだ。
 社会が発達するにつれて、そのような道徳律に福祉制度がとって代わるようになるともいった。
 要するに、年長者への尊敬、両親への孝養、幼い者たちへの慈しみは、社会を構成、運営しで行くうえに必要な基盤だが、それは単に道徳的な面だけではなく、社会的な弱者を積極的に援助して行くうえで不可欠な役割を担っていた面のあったことも見逃せない、というのだ。発達した社会の福祉制度は未発達な社会の道徳律の代替物である、との指摘に、
私は目から鱗の落ちる思いをした。

スウェーデンの現実

 それから数年後、国会議員に選ばれた私は北欧諸国を訪れ、福祉を学ぶ機会に恵まれた。
 気がついてみると今日の日本はさながらフリー・セックスの国の様相を呈しているが、当時の日本人の多くは、北欧はフリー・セックス大国で、路上での行きずりの男女が、気が合うとすぐ交わりを持つというイメージを待っていた。
 ところが実状はこうだった。
 北欧の男女一組が夫婦関係に発展した場合、二人の家庭の所得は倍増することになる。当然、累進課税の対象になることは避けられない。それがバカバカしいと思うカップルは婚姻届を出さない、というのだ。独身者扱いのままの方がはるかに有利なうえ、子供が生まれた場合、その子は戸籍上私生児ということになるが、私生児の教育費は国家がみてくれるので、この面でも有利だ。そのため婚姻届を出さないカップルが多いというのだ
 福祉大国スウェーデンで訪れた養護老人ホームの充実ぶりには感嘆したものだ。当時の日本では養老院などとよばれでいたこの種の施設には、何よりも清潔感があった。肢体不自由者のための器具、たとえば横臥したまま入浴させる金属性の寝台や、スウェーデン刺繍が行える椅子つきの台など感服して見入ったものだ。個室には居住者の子や孫の笑顔が溢れる写真が所狭しと飾られていた。
「ここの住み心地はどうですか」と私は聞いてみた。
「満足しています。これ以上のことは望めません」とまでいって、老人は相手が異邦人という気安さからだろう、本音を聞かせてくれた。
「けれども今の生活水準より下がってもいい。子や孫と一緒に暮らせればね」

日本の現実

 高度経済成長がその後の日本の福祉に進捗をもたらした。それも急激なテンポで、だった。当時、私の見たスウェーデンの施設や器具が、日本ではもはや目新しいものではなくなった。しかし、目本の老人の自殺率がスウェーデンの上を行く事実は見逃せない。
 最近テレビ番組を見ていて、福祉について教えられるものが意外と多いことに気づいた。たとえば鹿児島県に住む老夫婦とその子息のことだった。口もきけず、動作もままならぬ父親は元教員で、スプーンで食物を口に運んでもらったり、人手を借りて寝起きをさせてもらったりする状態だった。定年退職者である長男夫妻が面倒を見始めたが、半年が精一杯だった。次に四人兄弟の末弟がみることになった。彼も退職者だが、週日は二度目の勤めに励みながら、土日の両日は家族を残して単身鹿児島に飛来し、両親の面倒を見る生活を繰り返している。この四男坊氏の言葉に私は深く感動した。
「真の福祉は、介護される側の人に生きていてよかったと思ってもらうこと、せめて、生きているべきでなかったなどと思わせないことだと思います。人間である限り、限界というものがあります。一所懸命のあまり、介護する側がヘトヘトになれば、親であろうと勢い邪魔者扱いする気持ちが生じます。その気待ちは黙っていても微妙に伝わります。ですから私は限界の一歩手前で、公的機関の介護者の手を借りてやっているのです。以前、母は父の面倒は他人には任せるべきではないと考えていたようですが、夜中に来て下さる介護者のお蔭で、おムツを取りかえるために起きることもなく、安眠できるようになって肋かったと申しております」
 もう一つは立教大学の女性教授の出た番組だった。彼女は米国に渡り、アメリカ・インディアンの人たちと生活体験を共にしてきたという。
「政府から生活補助を受けている集団ですから、前向きの生活を営んでいる人たちとは申せませんが、大変に教えられました。戦争や狩猟のため、男たちが出かけて行き、そのうちの何人かは帰還しないという時代がありました。集落にはその忘れ形見が残されましたが、こうした子供たちは成人するまで分けへだてなく育てられました。そのメカニズムが今も残っているのです」
 物よりも心を重視する政治が叫ばれて久しい。「心のかよった福祉」も合言葉のようになっているが、その具体像がはっきりしない。しかしそれが見えてきた、と私は感じた。
 女性教授の最後の痛棒はきつかった。
「独居老人が淋しく死んで、その発見が数週間後、どうかすると数カ月後ということがこの経済大国では珍しくありません。ところが補肋金に依存しているアメリカ・インディアンの集落には、こういう例は一件もないのです」

(1998・5・8)




(これは、「月刊ベルダ 6月号(1998年)」に掲載されたものです)




 
ご意見、ご感想はこちらまで


戻る