「男女の仲」を
改めて考える



 有名税なのだろうが、有名人の離婚劇がしばしばマスコミを賑わす。世界中に宣伝された英国のチャールズ皇太子とダイアナ皇太子妃の離婚、それに引き続いて起きたダイアナ前皇太子妃の交通事故死の衝撃は、私たちの記憶に生々しい。有名人の離婚話を聞いていると、ひとごとながら、元の鞘にまるく納まってほしいと切実に祈らずにはいられない。
 私の両親には、幸いにも離婚の危機がなかったようだが、私にとっての悲劇は九歳の私と六歳の妹を置いて、三十四歳の母が他界したことだった。この時三十七歳だった父は爾来再婚することなく、九十歳でこの世を去った。
 片親だけの家庭で育った淋しさ悲しさを、私はいやというほど体験してきたが、親が離婚していたなら、それどころの話ではなかったと思う。
「人間は生まれながらにして仲睦まじい両親から育てられる権利を有する」といったらいいすぎだろうか。誰しもが頼んで生んでもらったわけではない。白分の意志とはかかわりなく生まれて来た子供は、両親から愛され、大切に育てられる当然の権利があるのに、それを踏み躙る等しい離婚など、親としでは許されない行為だ。だからこそ、危機にある夫婦が元の鞘に納まるよう、願わないではいられないのだ。
 離婚の危機にある有名人は、妻だからといって、妻に対して絶対にいってはいけない言葉を口にしてしまったと報じられている。彼の妻が子宮癌で入院、子宮の摘出手術を受けて退院した八年前に問題が起きたらしい。「お前はもう女じやない」といったというのだ。「子宮、すなわち女」という方程式が行き亘っていて、癌やそれ以外の原因で子宮を失わなければならない女性の側も「女でなくなる」虞れを持つようだ。子宮筋腫のために手術を受けることになった女性から「わたくし、女でなくなります」といってさめざめと泣かれた人の話を聞いたことがある。
 そのような話を聞くと思い出されでならないのが、母方の祖母のことだ。私たち兄弟をその膝下で育ててくれたのも、したがって戦時中の東京で父が子供の養育にわずらわされずに、単身で精一杯生きることができたのもいってみれば祖母のお陰だった。

祖母の病気

 小学校五年生の時だったと思う。近くの病院の名を挙げた祖母から「今日から入院、一週間もすれば戻るから、それまでかう子(妹の名)の面倒を見て、よいお兄ちゃんでいてほしい」と申し渡された。腹中に変な物が増えて来て、苦しくてならないのできれいに除去してもらうためだということだった。
「まさか癌ではないでしょうね」
 と私は無邪気に聞いた。
「そんなものではない。安心おし」
 と祖母は言下に答えた。
「本当?」
「子宮筋腫というものなんだよ」
 そして祖母は要領よくその説明をした。
 祖母は医者だった。幼少期、病弱だった私は祖母のお陰で死線をさまよいながらも何度助けられたことか。名医としての祖母への私の信頼は絶大だった。
 後年この時の祖母の胸中を忖度することがあった。医者であっても、自分のからだの変調の原因が子宮筋腫だとわかるまで、悪性のものではないかと人知れず祖母が悩み、悶えた時期があったのではないかと思う。一人娘の遺した二人の孫を抱えながら死ななければならない場合を想定、どんな怯えをもったろうかと想像するだに涙がにじむ。子宮筋腫だとわかって精神的な重圧から解放された時の祖母の心を想像すると、あらためて涙がにじむ。
 この時、祖母は筋腫は切除してもらうが、子宮だけは温存することにしたのだった。自然に反することはなるべくすべきでないというのが、祖母の「哲学」だった。取り除かなければならない原因も理由もなしに子官を全摘することなど考えられないことだった。こうして子宮は、祖母のからだの中にとどまることになった。
 祖母は嘘をつく人ではなかったから「哲学」に関する祖母の言葉に嘘はなかったと思う。しかし祖母といえども、子宮と決別したくはなかったのだ。その思いと「哲学」とが、たまたま好便にも合致したのではなかったか。

夫婦の営み

 祖母は二十代でヤモメになって、爾来結婚しなかった人だ。おそらく当時の祖母は、六十歳を幾つも出ていなかったと思う。その人にしてこうなのだ。女が子宮を失うことは、男には想像もつかない大事件なのだ。それを軽率に「お前は女でない」とか「女でないお前に用はない」などと口走る男がいるようだが、その愚かさをどうやって悟らせることができるだろう。
 九十四歳で逝った祖母の死因は子宮癌だった。あの時、子宮を全摘していたらと、私は何度思ったことだろう。
 子宮の摘出手術を受けた女性が、医師からの許可のもとに、晴れて夫婦の営みに入る。夫も、妻も、おそるおそる、だ。
「どうだった」と終って妻が聞く。「変わりないよ。全く同じじゃないか」と夫が答える。
 この会話が妻に光を取り戻させる。夫婦仲が以前にもまして明るいものになる。有名人の離婚話と雲泥の差ではないか。
 話の筋は若干違うが、太宰治の短編小説に『満願』というのがある。胸を病む夫に付き添って、妻は医師のもとに通う。夫婦は医師に夫婦生活を禁じられ、療養専一を厳命される。
 節制と療養の甲斐あって、病気は順調に回復、ついにある日「解禁」を医師から申し渡される。医師のもとを辞して帰途につく若妻の拡げ持つパラソルが垣根越しにクルクル回り、その足取りの軽やかさが手に取るようにわかる。
 そんな光景が鮮やかに私の胸中に去来する。
 女の性を大切にすることは、実は男の性を大切にすることにほかならない。

(1999・2・3)




(これは、「月刊ベルダ 3月号(1999年)」に掲載されたものです)




 
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