美しい嘘



 戦前の民政党の永井柳太郎は雄弁を持って鳴る代議士だったが、片脚不自由な人で、演壇には必ず松葉杖かステッキをついて登場した。この人は「諸君」といって話しはじめるのが常だった。
 親密になると、不躾に「先生の脚はどうしてそんな風になったのですか」と聞く人がよくいた。永井柳太郎はこう答えた。
 「私は少年時代に腕白で、よく木登りをしたものです。ある日、柿の木に登って柿をもごうとしたら、私の乗っていた枝が折れて、大地にしたたか脚を打ちつけたため、それがもとで骨膜炎になり、このようになったというわけです」
 三木内閣の文部大臣で先日亡くなった永井道雄はその子息だ。少年時代の永井柳太郎は腕白小僧だったのですか、と私はこの話を持ち出して聞いたことがある。
 「あれは親父のついた唯一の嘘でした」と永井文相は言下にいった。文相が自分の父親の喋った話を「嘘」と明言したのが異様であり、おかしくもあった。「親父の両親、すなわち私の祖父母は貧乏でした。祖母は家計を助けて針仕事で賃稼ぎをしていました。ある日、部屋中を這いずりまわって遊んでいた赤ン坊の柳太郎が火のついたように泣き出しました。祖父母は注意深い人でしたが、畳の上に針を一本落とした侭になっていたのを、赤ン坊は膝で拾ってしまったのです。医学も進んでいない上、医療器具なども普及していなかった時代のことです。何で赤ン坊がそんなに泣くのか判らなかったようです。そのうち、泣き疲れて泣きやむ。そしてまた泣き出す。泣いてまた泣きやむ。その繰返しの揚句の果てに、赤ン坊の脚は到頭骨膜炎になってしまったのです。それが真相でした」永井文相は淡々として続けた。「しかし本当のことをいえば、自分の母親の落度を人前に曝すことになります。母親の恥をあばくことになります。子として、そんなことがやれるでしょうか。親父はこの嘘を、死ぬまでつき続けていました」
 私は永井柳太郎という人に会ったことがない。せいぜい写真を通じてイガ栗頭の風貌に接しているにすぎない。しかしこの話を聞いた時ほど、心底からお目にかかりたいと思ったことはない。また、慕わしいと思ったことはない。
 私の脳裡には、蒼穹の飛行雲のような四文字が鮮やかに浮かんだ。
 ―美しい嘘―嘘にも美しい嘘のあることを、私は初めて知った。
(敬称略)




(これは、「自由民主 平成12年(2000年)4月18日」に掲載されたものです)




 
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